社会毒とは何か

「社会毒とは何か」を医学不要論では定義せねばならない。これは非常に広い意味を持つので、私が定義したものと、皆さんが思うものが違うこともあるであろう。ここでは医学や薬学や健康や生命などに関係する内容として、この社会毒を定義していく。

といっても難しい内容ではない。この社会毒とは、人間社会がもたらした古来の生物的世界とは反する内容を持った物質たちの総称である。ひと言でいえば、昔は人が食べたり使ったりしなかった物質、そしてそれが人体に悪影響をもたらす物質の総称とすればよい。

もう少し具体的に述べるとすれば、西洋薬に代表される薬と呼ばれる物質、農薬、食品添加物(保存料、着色料その他)、遺伝子組み換え食品、環境ホルモン、毒性元素、殺虫剤、洗剤、漂白剤その他、石油精製物質(薬のほかにプラスチックなど)、強力な電気、電磁波、工業系有害物質、住宅系有害物質、大気汚染物質、人為的放射能、砂糖、人工甘味料などに代表される物質のことだ。

問題はこれらの社会毒が、現代人、特に先進国の現代人がどれだけ頑張っても、そのすべてを避けることはできないという点だ。さらにいえば社会毒として扱われるものの中に、生命の輪に当たる46種のミネラルが含まれているのが面白い。これら46種のものでさえ、ちょっとしたことで毒になるということだ。

これらは完全に社会に浸透して、あらゆる現代病の根源となっている。もしこれら社会毒がほとんど規制されれば、少なくとも現代人は現代病にはほとんどならない。それこそエスキモーやアイヌやアボリジニーやアメリカ原住民たちのように、さらにいえばほんのひと昔前の日本のように、現代病になる人々は激減する。

前述したように、本来人間や生物がなる病氣というのは、今、人間たちがかかっている現代病の大半ではなく、感染症や飢餓や風土的な病氣のほうが圧倒的に多かったのである。そして、現代人は感染症や飢餓や風土的な病氣に関しては、一定の医学的効果をあげている。

それらを真に考慮すれば現代人は、「社会を変えることさえできれば」、有史の中で最も健康な状態を作り上げることができるはずなのだが、実際はできていないのだ。これはきわめて悲劇的なことである。しかもそれは社会毒的な意味による不健康と、医療化に伴う意味においての不健康と、二つの意味を持っていることが重要なのだ。

つまり、医学不要論の根幹の一つは、人類が自分の健康だけ、自分の病氣だけをきにしていても、根本解決にはならないということの提唱である。

あなたが健康になりたいのであれば、あなたが率先して世の中を変えるように努力しなければならない。肉体的な健康であれば、これらの社会毒を世の中からない状態にすることなくして、人類に健康などというモノが訪れるはずもない。

しかし、人類はだれかがやってくれることには期待するが、決して自分では考えて調べて実行しようとはしない。それはつまり、人類の不健康は、巡りめぐって自分たちにツケが回ってきているだけだと思ったほうがよいということだ。そして、それは先天的、遺伝的な疾患さえそういう可能性があるということだ。

これらを日常的にすべて避けることはできないため、現代においては避けるだけというより排毒する知識が必要不可欠である。いくら食べ物だけ無添加のものを食べても、すべてを除去することはやはりできない。だから社会を根底から変えていかない限り、医学不要論が達成されることはない。

(医学不要論 ~全く不要な9割の医療と、イガクムラの詐術~ 内海聡 著より抜粋)


社会毒、医師の内海聡 氏は、そう名付けた。
環境毒、医療・環境ジャーナリストの船瀬俊介氏はそう名付けている。

どちらでもいい。

便利な上に、人体に害のあるものは要らない。
必要なものは、人体に害にならない、便利なものだ。