症状は体からのメッセージ

よく一般人が誤解することの代表格が「症状」についてである。

ほとんどすべての人はこの「症状」を悪いものだと捉えているが、そう考えている人はもう病気が治ることはありえない。その「症状」は体のメッセージであり生きていることの証である。だからその「症状」を愛さねばならない。しかし今の日本人は必ずその「症状」にしか目を向けることがない。


医者は「病気の症状」と言い、症状を抑圧するために化学物質を処方する。

精神的に不安定であればドラッグまがいの精神薬を処方する。痛みがあれば鎮痛剤を処方する。高血圧であれば、人工的に血圧を下げる化学物質を処方する。このような方法を世間では対症療法と呼ぶわけである。


痛みは、身体の活動を制御し、おかしいところを伝えている。

負傷を悪化させないよう指示してくれているわけである。しかし、西洋医学に依存している人間は、鎮痛剤や何かの治療によって痛みを鈍くすることを考える。これは鎮痛剤に限ったことではなく治療全般についていえることだ。だからそれでも治療するというのなら自然に痛みが軽減していくことと、本質的によくなっていることに着目せねばならず、同時に害がない少ない方法を選べねばならない。しかし痛みでいえば麻薬や鎮痛剤より害が多い物質は存在しない。


東洋医学では皮膚も顔にブツブツも爪も舌も、すべて意味がある。

この考え方は東洋医学だけではなくほかの流派であっても似たような発想がある。あまり体に現れたものだけを見ているとそれにだまされることもあるのだが、その症状をいいものととらえるか悪いものととらえるか、すでに逆転していることに目を向けるのは大切なことといえよう。


入ったものは、必ず出る。

大便が固すぎる、柔らかすぎる、というのは腸の法質的な状態が悪いことと、食事の内容が悪いことをそのまま示している。過敏性腸症候群などという病名にだまされている人間ばかりなのだが、便でも尿にすべてにおいて意味があるということだ。