伯母と両親とモーニングセミナーと

それは今年4月12日、火曜日の出来事でした。

父が突然、豊川の伯母(父の姉)のところに今月中にお見舞いに行こう!という話を始めたのです。私も母も、5月の連休明けにすればいいんじゃないの?と話をしてみましたが、受け付けません。5月の連休前に毎年、両親と伯母で、父の故郷、長野県の阿智村に蕨取りに出掛けていたので、それが今年は出来ないという報告、そして元気になったらまた蕨取りに一緒に行こう!ということ伝えたい、ということもあり、出来るだけ早く行きたい、出来れば今週中明後日14日の木曜日とかには行きたいとのことでした。

父がそのようにかなり強く自分の希望を言ったのは初めてではないかと思います。

2月に一度、伯母の自宅にお見舞いに行きました。伯母はスキルス性胃がんの末期で、その時は自宅療養でした。今は看護師、介護士が24時間常駐のホスピスで療養中です。

今回、父の話を受けて、(なぜそんなに早く行くことにこだわるのか?ちょっと先の5月連休明けでもいいのではないか、でもそこまで言うのなら。。)ということで二つ返事、笑顔でハイ!と返事をしました。父の希望通り、14日の木曜日に行くことにしました。いつもでしたら、反対のための議論を交わすことが先行していたのかもしれません。

そんな自分の想いを主張した父は現在80歳。
常々、私が気にしていることがありました。それは最近元気がない、笑顔がないということです。自営業のガソリンスタンドを廃業してからというもの、生きる希望が無いような、生きる楽しみが無いような気がしてなりませんでした。

父の現状を気にしていた矢先、私の所属している倫理法人会で、翌日の13日夜、「経営者の集い」がありました。その先生は大阪府倫理法人会の國場佳代先生でした。國場先生のお話を聞き、すぐに、(この先生の講話をぜひ両親に聴かせてあげたい!翌朝のモーニングセミナーに!)と思わずにはいられませんでした。どちらかと言えば、父に聴かせてあげたいと。。

國場先生は父と同じ80歳。父と同じく過去、胃ガンの手術をした経験があり、似たような境遇だったのです。父と違うのは、とにかく底抜けに明るく前向きであるということ。そして80歳という年齢にも関わらず、生きる意欲、生きる楽しみがこれからも大いにあるということです。

そんな父に、國場先生の講話をぜひ聴いてもらえたらと思い、帰宅後すぐに翌朝のことを楽しそうに誘い、同意してくれました。そういうわけで、その翌日の予定は、モーニングセミナーで講話を聴いた後に、豊川の伯母のお見舞いに行くということになりました。

翌朝、両親とともに朝起きをし、経営者モーニングセミナーに参加。父は自分の興味のないような話を聴くと、すぐに寝るクセがありますが、その日は終始、耳を傾けていました。また、父だけでなく母までもがその講話に元気をいただいたようで、その後の朝食会にも参加することにもなったのです。

朝食会では國場先生のすぐ左隣に父、その左隣には母、そしてまたその左隣には私という具合に並んで座りました。

食事の終り頃に私はふと、國場先生への質問が沸き起こりました。今日この後、豊川の伯母のところへ見舞いで出向く。その時に私たち家族はその伯母に、何と声をかけたらいいのだろう、と。その第一声の声掛け、接し方はどのようにしたらいいのだろうと。

末期がんの人に、元気?はおかしい。
元気でないから、そこにいる。

具合はどうですか?もおかしい。
具合が悪いから、そこにいる。

体調が悪いのはわかっている。

その疑問を國場先生に投げかけた時、両親も同じ疑問があったように見受けられました。
回答を待ち受けました。

「そうねぇー。。元気?はおかしいし、具合は?もおかしいわね。。」
「微笑みながら手を握り締めて、どう?じゃないかしら。。うん、それがいい♪(^^)」

両親はその答えにひどく納得した様子で、講話、朝食会ともに充実した時間を過ごせたようでした。私としても、両親とともにその場を共有できたことに、ひとつの充実感がありました。

その後、浜松から豊川まで1時間ほど車を走らせ、ホスピスまで無事到着、4階にある伯母の部屋の前まで来ました。父はどのように対応するのだろう、と私は少し緊張感を持ちました。

父は部屋に入り挨拶をし、ゆっくり椅子に座ると、寄り添うような感じで、伯母の手を笑顔で握り締め、どう?と声を投げかけたのです。父は朝の、國場先生のアドバイス通り、実践したのです。人に言われたことをこんなに素直に実践するのを見たのは初めてでした。ずっと手を握り締め、笑顔で伯母と接していました。その時間、長すぎるくらい、十分な時間でした。

しばらくすると母親も同じことを実践しました。ずっと手を握り締め、笑顔で伯母に接しました。

両親ともに、これほど素直に実践するなんて。。と鳥肌が立ちました。
伯母は喉の渇きに時折、氷を頬張りながら、接してくれていました。

会話をすること自体、伯母にとっては苦痛でしたので、双方ともに多くを語らず寄り添うというような時間を過ごしていました。

一段落ついたところで、帰ることを告げた時、見送りたいと伯母のほうから言ってくれました。看護師を呼び、車いすに乗り、エレベーターで一緒に1階玄関まで降りてきてくれたのです。最後、父、母は伯母に握手をして帰ろうとしたとき、伯母のほうから私に、言葉は無く、握手を求めてきたのです。

両親の笑顔の実践が、私たちへの見送りと、私への握手に変わりました。

私たち家族は、その日の出来ることを、出来る限り実践できたことにひとつの充実感を得ていました。それは4月14日、木曜日のことです。

それからたった4日後の、4月18日、月曜日、車で移動中の私に突然、妹からメールが入りました。

「豊川の伯母さんが亡くなりました。。」

衝撃と悲しみが走りましたが、その後すぐに、ひとつの想いが沸き起こりました。

その想いとは、あのタイミング、あの日程で見舞いに行けたこと、そして、あの時出来る限りの接し方が出来たことです。

父があのタイミングで行きたい!と言ったのも、何かの導きがあったのかも??と思わずにはいられませんでした。そしてあのタイミングで両親を倫理法人会のモーニングセミナーに連れていくことができたこと、そしてアドバイスを受けたこと。。

すべてがうまく繋がり、そして、
悲しみとともに、
あれはあれで良かったと、両親と私は感じています。

結果、納得のいく、お別れの挨拶ができたんだ、両親と私は感じています。

すべてに、関わった方々に、感謝です。